« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

2010年11月

2010年11月23日 (火)

「モドゥコン99(第一回身体改造★世界大会)」体験記(3)

まだまだつづく、「モドゥコン99(第一回身体改造★世界大会)」体験記、お楽しみください。

★舌先を切開するスプリット・タン

 「モドゥコン」会場では、息詰まる改造手術の実演の合間に、トカゲになりたいとフリークス願望を語っていたリザードマン氏の火吹きのショーが行われていた。彼の容姿を説明するなら、顔面には、左右の額にインプラントされた1センチ大の突起が4つずづ並んでおり、口を開くと舌先は2つに引き裂かれ、腕一面にタトゥーでウロコが彫られていた。一見、見せ物小屋のフリークスのように見えるが、それをすべて不可逆な改造行為でやってしまっているところが凄い。
「数年もすれば、身体の外見そのものの全体的な変形が可能になるだろう。リザードマンは、インプラントとタトゥーでトカゲになろうとしているが、私は、ベルギーにいる『毛皮計画』というグループを知っている。彼らは、毛の移植と外科手術によって、自分たちを本物のライオンのようにしようとしている。」
 BMEのシャノン氏が、嬉しそうに語った。彼によれば、インプラント技術を利用して、人間に本物の角をつけたり、発光ダイオードを埋め込んで、発光する「タトゥー」を施したり、さらには、「サイボーグ装置」を埋め込んで、本格的な機械人間への可能性が広がるかもしれないとまであるという。確かに、クローン技術や内臓移植、さらにはロボット・テクノロジーなど、以前は、絵空事だったことが、ここ数年で、あっさりと現実化されてしまっているのは、誰もが認める事実だろう。
「しかし、最も深刻な問題は、世の中には、こういう身体改造行為を全く受け入れられない人々がいることだろう。」
 そういうと、シャノン氏が、自分の2つに裂けた舌を見せた。
 ここで、舌先を2つに切り裂くスプリット・タンについて説明しておこう。舌を蛇のように2つに切り裂く行為は、歴史的にも過去の時代に実際に行われていたという記録もある。しかし、BMEで紹介されているようなスプリット・タンを最初に実践したのが、まさに前述したリザードマン氏である。彼は、自分が住んでいた街の美容整形医に頼み込んで、舌先を電気メスで2つに切り裂いてもらった。それも、一回目の切り口が小さかったために、さらにもう一度切ってもらったという。「僕が、スプリット・タンを成功させたあと、インターネットを通じて、10人くらいの人たちが、僕がやってもらったのと同じ病院で、スプリット・タンをしたよ。」
 その中には、若い女性も含まれていたというからびっくりだ。リザードマン氏がスプリット・タンを成功させたのち、舌のピアス穴を拡張することでスプリット・タンを成功させたという事例も報告されるようになった。
「この先、人間は、身体の形や外見の制約を越えて、それらを自由に改造できる時代になっていくだろうな。」
 そうシャノン氏が語った。世界身体改造大会は、そのあと深夜まで続いた。もう我々は後戻りできないところまで来ているのだろう。

★性器改造の末に到達するサイボーグ願望と未来のセックス

「テクノロジーやメディアを体内に取り込みたい願望が、ピアスやタトゥーのような痛みを伴う身体装飾の全世界的流行を生んだのさ。」
 そう語ったのは、オーストラリアのアーティスト、ステラーク氏。彼は、70年代から身体と機械の融合をテーマにした斬新なパフォーマンスを続けてきた。
「今の若者たちは、将来、もっとハイテックな改造が登場すれば、迷わず試みるだろう。」
 そのステラーク氏の言葉は、BMEやモドゥコンが推進しているボディ.モディフィケーション(身体改造)と繋がってくる。
 ステラーク氏自身、70年代、目や口の縫合から始まり、身体に大きな釣り針を貫通させて全身を吊り下げるボディ・サスペンション、80年代以降は、精密なロボット義手を使った「第3の手」、実際に胃袋に小型ロボットを飲み込んで作業をさせたりしている。最近では、「第3の耳」と言われる人工耳の埋め込み手術のプランを提出しているほど。ステラーク氏も、BMEの身体改造マニアたちの存在を視野に入れていることは明らかだ。
「現代は、テレビやコンピューターがあふれた時代で、私たちは、現実的な経験よりも、メディアによって与えられた幻想によって支えられて生きている。だからこそ、我々は、強烈な肉体的経験を得ることによって、物事を理解したいと考えるようになるのだ。」
 ステラーク氏は、21世紀は、人間と機械が融合するサイボーグ時代になるだろうと予想する。ここで、身体改造の最前線を一望してきた我々としては、性器改造によって究極の快感を追い求めている人たちや、人間の身体の限界を超ようとしている人たちこそが、人間という一線を超えて、サイボーグ時代への第一歩を踏み出してしまうのではないかと考えてしまいたくなる。
 「アメリカには、誰もやったことがない、びっくりするような身体改造をやりたがっている連中がたくさんいるよ。」
 そう語ったのは、インプラントの開発者スティーブ・ヘイワース氏だった。インプラント登場後、彼のもとにつめかけた多くの改造マニアたちも、まさにそういうタイプの連中だったのだろう。
 例えば、性器の改造は、身体改造の中でも最もバリエーションが多く、人間のサイボーグ化は、性器の機械化から始めるということも予想される。もし、それが未知の快楽の扉を開くものならば、モドゥコンに参加するようなマニアなら、やってみようという人もいるだろう。
「身体改造の研究開発の過程で、人類の未来を決定づけるような『快楽の仕組み』が発見されるのではないか」
 これが、筆者自身、「身体改造」シーンの取材を続けてきて、感じていることである。サイボーグ時代の未来のセックス、それは、すでにインターネット上で萌芽しているのだ。(完)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

「モドゥコン99(第一回身体改造★世界大会)」体験記(2)

1999年にカナダのトロントで行われた「モドゥコン99(第一回身体改造★世界大会)」体験記のつづき、お楽しみください。


★男性器の裏筋を切り開くサブインシジョン

 談笑していたはずの参加者たちが、小さな手術室の方に集まっていた。「モドゥコン」の最大の見せ場、改造手術の実演が始められようとしていた。開会のとき、演説をしたパトリック氏が、手術用の手袋をして、助手を勤める女王様のCMハート嬢を従えて登場した。手術を受けるのは、30代の太目の男性、下腹から太股にかけて、股間を囲むようにタトゥーが彫られているが、外見はいたって地味な会社員風だ。
 パチパチパチ…と電気メスが火花を上げた。これで陰のうに穴を空けるのだという。見ているだけでも自分の股間がムズかゆい。陰のうの根元を前後に貫通するトランス・スクロータムというピアッシングが存在するが、電気メスを用いることで、もっと大きな穴を一気に空けてしまおうということらしい。
 今回の「モドゥコン」でも、最も実践者が多かったのが、男性器を切開するサブインシジョンだった。この性器改造は、もともとは、オーストラリアの原住民アボリジニが、成人になった男性に行っていたもの。その起源は、カンガルーの性器の形を真似たという説や、切開時に多量の血が出ることから女性の初潮を真似たという説がある。このジャンルは、すでに、さまざまな改造が試されており、7種類に分類されている。まず、その バリエーションを見てみよう。
(1)ミートトミー(尿道を2、3cm切開)プリンス・アルバートと言われる、尿道口から入って裏筋に抜ける性器ピアッシングのピアス穴をどんどん拡張することで、切開することも可能。医療用のメスやハサミを使って切開してしまう人も多い。一気にバッサリと切ることもできるが、多量の出血をするので、自分自身で行う場合には、数ミリずつ数回に分けて、切っていく方法もある。尿道内の性感が開発され、男性器の感度も抜群になる。
(2)パーシャル・サブインシジョン(尿道を5、6cm切開)亀頭の裏筋の部分を、ミートトミー以上に大きく切開する。医療用のメスやハサミでもできるが、切断部分が癒着してしまう場合が多いので、一気にやりたい場合には、電気メスで焼き切る方法がベスト。勃起時には、男性器全体が、以前よりも太くなる。性機能には、全く問題はないという。
(3)ヘッド・スプリッティング(亀頭を真っ二つ)亀頭を上下に貫通するアパドラビア・ピアッシングを拡張し、さらに一部を医療用メス等で切り開く。露出した海綿帯部分には未知の性感が芽生えるという。
(4)フル・サブインシジョン(裏筋根元近くまで切開)パーシャル・サブインシジョンから、さらに大きく切開する。勃起時には2倍近い太さになるという。
(5)ジェニタル・バイセクション(根元まで真っ二つ)ハーフ・ペニスとも呼ばれるもので、根元から2本に分かれた男性器には、本当にびっくりさせられる。女性への挿入は難しいようだが、切断面の海綿体部分に未知の性感が芽生えるという。
(6)インバージョン(竿部分のみを真っ二つ)切開の際に、出血が多い亀頭部分はそのままにして、竿部分のみをメスなどで真っ二つに切開していしまう。物を挟んだりすることもできるので、全く違ったセックスの可能が開けるかもしれない。
(7)スクロータル・スプリッティング(陰のうを真っ二つ)陰のうの中央部分をメス等で切開する。陰のうの伸展は勃起力の増強に効果があるが、同様の強壮効果があるという。
 「モドゥコン」の大会会場では、これら7種類のすべてを見ることができた。男性器へのピアッシングにも、14種類あるが、サブインシジョンも、もはや性器ピアッシング同様の発展を遂げているのだ。サブインシジョンは、まだ、ピアッシングのように、苦痛も少なく、失敗なくできる方法が確立されているわけではない。しかし、もっと実践者が増えれば、広く受け入れられていくだろう。

★性器に食塩水を注入するセイリーン・インフュージョン

 陰のうに穴を空ける手術は、電気メスで切ったあとに、癒着防止のために傷口を縫合するため、40分以上の時間がかかった。手術がまだ終了しないうちに、同じ手術室で、男性器へ食塩水を注入するセイリーン・インフュージョンの実演が始められた。下半身丸出しで椅子に座った男の横には、医療用の食塩水の点滴が3リットル分も吊されていた。
「彼の性器に食塩水を注入します。約1時間で、今の5倍ぐらいの大きさに膨れ上ります。注入した塩水が体内に吸収されるには数日がかかるので、その間、彼は、まったく水分を取る必要がありません。」
 そう説明がなされると、男の陰のうに、3本の注射針が刺されて、点滴と接続された。数分すると、注入されている男は、朦朧とした表情になっていた。そして、数十分もすると、彼の陰のうは、椅子から大きく垂れ下がるほど肥大していた。なるほど、人間の体で、そんなこともできるかと、感心させられる。
 全くの素人が、このような食塩水の体内注入を行うのは、非常に危険な行為である。しかし、BMEのホームページを見ると、その詳しいやり方ばかりか、体内に注入可能な医療用食塩水や、点滴用注射針まで通信販売されている。確かに、BMEを知ったことで自分でもやってみたくなる人も多いだろう。そして、その情報や道具、薬品までが、インターネットを通じて、日本にいる我々も含め、世界中の誰にでも簡単に手に入るのである。
 さて、セイリーン・インフュージョンについて、BMEの報告をもう少し付け加えておこう。注入が可能なのは、男性器の陰のうや竿、女性器の陰唇、乳頭など。さらに驚くべき実例では、絞り出した男性の乳房に食塩水を注入して豊胸するものもあった。

★皮膚の下に異物を埋め込むインプラント

 「モドゥコン」で身体改造の実演では、フランスから来たルーカス・スピラ氏による、若い女性の腕を切って、肌に模様を刻む行為(スカリフィケーション)も行われた。真っ赤な鮮血が流れ、彼女の目からは痛さのあまり涙がこぼれ落ちていた。そんな思いをしてまで、綺麗な肌に傷をつけることもないのにと思うだろう。しかし、白い肌に、真っ赤に浮き出た模様は、なんとも言えないほど美しく見えた。
「私は、スカリフィケーションのアーティストである。ピアッシングやタトゥーが、ボディ・アートとして受け入れられ始めているように、ボディ・モディフィケーションそのものが、未来のアートとして、評価される日がくるだろう。」 
 ルーカス氏は、自信満々に語った。彼同様に、未来の身体改造が、次の時代のアートになるだろうと考えている人たちは多い。彼らは、ボディ・モディフィケーションという行為を、他人とは異なる身体を持つことによる強烈な個性の主張、あるいは、人間の身体の未知なる可能性を開くものと考えている。
 そのような「超個性」的な改造として、大きな飛躍をもたらしたものに、皮膚下に異物を埋め込むインプラントがある。その開発者スティーブ・ヘイワース氏自身は、第一回「モドゥコン」には参加しなかったが、大会の参加者たちのヘヴィな埋め込みは、筆者を始め、すべてスティーブ氏が行ったものだ。
 インプラントが始められたのは、1993年。医療機器メーカーの社長を父に持ち、ボディピアス専門店を営んでいたスティーブ氏のもとには、「頭皮の下に金属板を埋め込み、モヒカン状に鋲をつけられるようにして欲しい」とか、「額に突起を作って、スタートレックの宇宙人みたいにして欲しい」など、奇想天外な身体改造願望を持った連中が集まってきていた。そんな彼らの願望を実現したのが、「インプラント」だったのだ。
 もともと、皮膚下に異物を埋め込む方法自体は、美容整形手術で、鼻を高くするためにシリコンを埋め込む行為とほとんどかわりはない。だが、それが、アンダーグラウンドな身体改造マニアたちの世界で行われていたことが衝撃である。実際、額に大きなリングを埋め込んだ女性や、手首や手の甲に異物の突起をでっぱらせている連中を見れば、そこには、全く違った意識が作用していることがわかる。
 スティーブ氏は、手首、額、胸部、手の甲などに、テフロンや医療用ステンレスでできた素材を埋め込むことに成功している。アリゾナというアメリカのローカル都市で始まったインプラント。BMEを通じて、世界に発信されたことが国際的に知られるきっけになり、99年度版の「ギネス・ブック」にも載ったほどで、500人以上の実践者がいる(00年当時)。このような埋め込み技術も、ピアッシングの跡を継ぐものとして大いに注目されているのだ。(つづく)
 

| | コメント (1) | トラックバック (1)

「モドゥコン99(第一回身体改造★世界大会)」体験記(1)

およそ10年前、1999年にカナダのトロントで行われた「モドゥコン99(第一回身体改造★世界大会)」体験記、翌00年に書かいたもの。今、読み返すとまた新鮮、お楽しみください。

★世界最大の身体改造ホームページBMEとは

 「1994年の終わりごろ、自分のホームページで、僕のピアス写真を公開していたら、『俺の方が、凄いだろう』って、いろんな人から、写真が送られてくるようになったんだ。」
 そう語ったのは、カナダで、世界最大の身体改造ホームページBME(ボディ・モディフィケーション・イージン)を主宰しているシャノン・ララット氏。彼は、そのことがきっかけとなってBMEを立ち上げたという。
「送られてきた写真の中に、男性器を切開しているものがあって、これは凄いことになっていると悟ったよ。そういう行為が、僕らの知らないところで、大勢の愛好者たちに実践されているんだからね。」
 シャノン氏がいう男性器の切開は、サブインシジョンと言われる行為。彼は、そのマニアたちとの出会いを通じて、雑誌メディアや一般マスコミでは、紹介できないような身体改造の最前線を、インターネット上で発信していくことになる。
 「僕が、最初に、コンタクトするようになったのは、男性器を切開した人たちだったけれども、そのうちに、爪を剥ぐのが趣味の人や、自分の意志で指や手を切断した人たちとも連絡を取り合うようになった。特に、切断マニアの人たちは、自分以外にも切断を趣味にしている人がいることを知ると、罪の意識が薄れて、インターネットを通じて、ある種の共同体を作っていった。そういう人は、アメリカだけでなく、ドイツや日本にも大勢いるよ。」
 しかし、なぜ、そこまで疾走してしまうマニアたちがいるのか。シャノン氏は、ハードな改造マニアたちをどう見ているのだろうか。
「手足を切断してしまうような行為は、今までの人生を全く変えてしまう。例えば、性器の切除にしても、ホルモンのバランスが変わって、その人の性格まで変えてしまうし、もっと一般的な男性器の切開にしても、出血も多く、その人の精神や肉体に大きな影響を及ぼすだろう。」
 シャノン氏は、ハードな身体改造のリスクを強調した上で、続けた。
「彼らは、子供のころから、そのようなことをしたいと思っていたり、何かの必然性があって、それをしたいと思い続けていた。だから、何かに影響されたとか、ましてや外見上の理由からでもない。もっと、内面的な願望に突き動かされて、それをやらずにはいられない人たちなんだ。」
 その話は、70年代の性器ピアッシングの黎明期、ピアッシングそのものの存在すら一般に知られていなかったときに、内的な動機から、それを実践してしまったマニアたちの世界に通じるものがある。
「BMEにアクセスしてくる人たちの間では、男性器の切開も、ごく普通の行為になっている。将来、もっと信じられないような改造を実践する人たちが登場するだろう。」
 シャノン氏の言葉の通り、BMEは、現在も絶えまない前進を続けている。
 
★身体改造世界大会「モドゥコン」体験記

 1999年5月。BME主催によって、世界の改造マニアたちを一同に集めるイベントが開催された。「モドゥコン99」と名づけられたこのイベント、場所はカナダのトロント、大会の参加資格は、指または手足の切断、男性器の切開、舌先の切り裂き、皮膚下への異物の埋め込みなどのハードな身体改造を実践している人のみに限られた。アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、日本などで約500人がノミネートされ、そのうちの60人が実際に集まってきた。実は、筆者も額にテフロン樹脂をインプラントしており、大会の参加が許された。
 「BMEにコンタクトしてくるマニアたちは、皆、インターネットで連絡を取り合っているだけで、直接、会ったことがない。だから、彼らを一つの場所に集めてみたかった。」
 そう語るシャノン氏も、舌先を電気メスで切開しており、2つになった舌が口の中からチラチラと覗くのがわかる。イベント開始時刻の午前11時をまわると、次々と参加者たちが会場に到着した。入口では、関係者以外の立ち入りを防止するために、身分証明書のコピーが取られ、非常に厳しいセキュリティーがひかれていた。
 会場内に入ると、大きな広間と、小さめに壁で区切られた手術室があった。広間の巨大スクリーンには、男性器が火で焼かれている映像が流れ、いくつか置かれたソファーでは、数人の参加者たちが、談笑を始めていた。ほぼ全員の参加予定者が揃ったのは、午後2時近く。さっそく、自己紹介タイムが始まった。
「私は、アメリカから来ました。亀頭が半分です。」「私は、フランスから、皮膚の下に金属を埋め込んでいます。」さらに、「私は、自分の夫を去勢しました」と語る去勢夫婦も数組いた。
 全員の自己紹介が終わると、参加者の中でも年配のパトリック氏の演説が始まった。彼は、イギリスから参加した医師で、アメリカより数年遅れて始まったロンドンのピアッシング・シーンで活躍した人物である。
「私は、80年代初頭に、性器ピアッシング・ムーブメントにかかわりました。そのとき、最初に性器ピアッシングをしていたのは、たった4人だけ。しかし、今では性器ピアッシングは、非常に一般的になりました。そして、今、ここに集まった人たちは、次の時代を作る人たちです。いつか、このようなハードな身体改造が世に受け入れられたとき、この集まりがどれほど貴重なものであったかが高く評価される日が来るでしょう。身体改造こそが、我々の意見であり、表現なのです!」
 その言葉と同時に、会場中に割れんばかりの拍手が響いた。事実、十数年前まで最も重度な変態行為だ思われていた性器ピアスが、今や世間に広く知られるようになったことを思えば、さらに10年後、20年後に、いったいどんな身体改造行為が一般に受け入れられているかなんて、誰も予想できないだろう。


★指、手足を切断するアンピュテーションな人々

 大会参加者たちの自己紹介が終わると、参加者同士のフリートークが始まった。なんとしてもまず話しを聞いてみたかったのは、指や手足を切断するアンピュテーションの実践者たちだった。
 最初に話したのは、親指切断の実践者BD氏。彼は、30歳代、有名企業に勤める理知的な紳士だ。
「10代のときから、指を切断する願望があった。ある日、バスで指のない人を見て『やれば、できるんだ』と思い、3週間後に実行した。ほら、このとおり。」
 そう言って、彼は、嬉しそうに短くなった親指を見せた。
「俺は、このツルっとした感じが大好きなんだ。これも一種のフェチだろう。」
 そう言って、彼は、切断面を嬉しそうに撫でた。親指の第一関節から先がないが、会社の同僚たちも、まさか彼が自分の意思で指を切断したとは思っていないだろう。
 次に話を聞いたのは、初老の男性で、全身をタトゥーで飾ったカッター氏。
「右の小指と、左の中指を切断。足の指は9本ない。切断された指はセクシーだろう。右の小指でアナルを、左の中指でヴァギナを責めると俺のガールフレンドはヒーヒーとヨガり声を上げるよ。」
 カッター氏はニヤニヤと笑った。実際、爪がないとアナルやヴァギナを責めるのに都合がいいだろう。どうも切断系のマニアは、性的な理由でその一線を越えてしまうらしい。
 親指切断の実践者BD氏は、さらに、手首の切断を行った友人について語った。
「彼は、指を、ノミを使って、トンカチで一発で切断した。でも、手首は、ナタで一気にいったけど、完全に切り離すことができなかった。30分待って、救急車を呼んだけど、残念ながら縫い合わされてしまったよ。」
 横で聞いていたカッター氏が、「切断方法が悪かったな」と相づちを打った。彼らの一番の関心は、もはや、「なぜ、切断するか」ではなく、「どうやったら、綺麗に切れるか」なのだ。BD氏が続けた。
「今回、残念ながら参加してくれなかったが、我々の大先輩は、『ノーハンド』氏だ。彼は、手足のない状態に対する憧れを持ち続け、自作のギロチンを作って、指の切断で十分な訓練を積んだのち、念願の右手首切断を成功させたのさ。」
 指の切断に比べて、手首の切断を成功させるのは、それだけ難しいことだという。また、切断された指や手首をどのように保存するかも、彼らの大問題である。
 ちなみに、ノーハンド氏は、手首切断後に、さらに、自分から車の事故を起こして両足を切断。その後は、身体障害者年金によって、暮らしているという。
 さらに、性器を切断してしまった人や、乳首を切除してしまった人たちにも、その切断面を見せてもらうことができた。(つづく)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年11月12日 (金)

ロシアの有名彫師さんが来日します。

11月16日〜11月27日
ドミトリー・べリアコフ(DMITRY BELIAKOV)さんが来日します。
今年6月のロシア取材でも大変お世話になりました。

英語堪能な奥様(カテリーナ・ベリアコフ:KATERINA BELIAKOV)が通訳で同行します。

ロシアは、サンクトペテルブルク(St Petersburg)を拠点に活躍、芸術教育水準が高く「カラー・リアリスティック」が90年代から主流であったというロシアン・タトゥー・シーンをその黎明期から支えてきたベテランです。

Dmitry_beliakov_11_4


Dmitry_beliakov_18


Dmitry_beliakov_t026a


ゲストワークは、高円寺のTOKYO HARDCORE TATTOOにて。

よろしくお願いしまーす。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »