土屋豊監督『タリウム少女の毒殺日記』トークショー出演(7/14)+サスペンション@デパ(7/6)
今日(7/14)は、土屋豊監督『タリウム少女の毒殺日記』トークショーに出演!!
18:40からの上映後(20:02)から、身体改造やサスペンション、デパートメントHなど、日本のアンダーグラウンドについて話します。
写真は、土屋豊監督と主演の倉持由香さん(6/27阿佐ヶ谷ロフトにて)
もともと、今回の土屋監督の作品は、事前に協力依頼を受け、身体改造シーンの撮影やキャスティングをサポートさせてもらった。それだけに、彼の新作『タリウム少女~』を観て、彼の“言葉で表現できない何か”を素直に感じ取れたときの嬉しさは大きかった。映画というフォーマット(形式)への挑戦、レイヤー構造の現実認識、遺伝子操作や人体の改造を違和感なく受け入れる感性、土屋監督が挑むテーマは、私、ケロッピー前田が長年かかわってきたジャンルとも関連が深い。そのため、彼の映画を観たり、彼と会ったりするたびに、新しい発見があることが嬉しい。
「カエルがひかる」という言葉が映画の中でも連発されると、底知れぬ親近感を感じてしまうのだ。
「賞金は振り込みですか?」
昨年の東京国際映画祭の受賞式、「日本映画・ある視点」作品賞をめでたく受賞した土屋豊監督の第一声がこれだ。
ああ、なんて、パンクな!!
賞金100万円は大金だが、映画の製作費や宣伝費、自主映画を撮るために積み上げてきたものを思えば、商業主義的な映画業界のシステムそのものが作家の創作を阻んでいるともいえる。その一言にここまで戦ってきた自信が感じられのが最高だ。今年1月、第42回ロッテルダム国際映画祭での海外初上映を経て、7月の日本国内上映への期待はますます高まるばかりだ。
「タリウム少女というのは観客にとっての“入口”、彼女の視点から見ると、お母さんもカエルも、皆、等価。お母さんが憎かったからじゃなく、一番近くにいた人間だからタリウムを飲ませて人体実験しちゃただけ。そんな彼女が、2011~12年を見たら、どう見えるだろうかを描いている」
この映画のずば抜けたところは、テーマや内容ばかりでなく、手法的にも複雑にミックスされていること。映画がネットとリンク、作品内で撮影されたYouTube動画はいまも残されている。iPS細胞や蛍光ガエルの研究者たちのインタビューはドキュメンタリー、CGを駆使して地球を覆うインターネットを可視化し、タリウム少女に突然話しかける土屋監督の声までも登場する。
「レイヤー構造にしないと、いまの現実を表現できない。みんなに共通する現実なんてないから、断片的なイメージをつなげ、重ね合わせていかないと。人間をデータとして管理し、DNAで識別する社会というものを描きたかったから、オーソドックスな劇映画の手法とは全然違ったものになった」
少女が母親を毒殺しようとする物語。破滅に向っていくのかと思いきや、ピアス、タトゥーで身体を飾る謎の人物が登場し、IDチップを埋め込むことを教わり、母親の毒殺を止めて、身体改造へと気持ちが向う。
「逃げようがない現実に対して、そこからジャンプする方法は、人間のフォーマットを超えることでしょう。将来の夢は自分がひかること、そんな感覚自体が今までいなかったから、それが世界を変えること、未来を自分で勝ち取ることに繋がっていくと思うんです」
さらに土屋監督は、日本の映画業界のシステムにも挑み続ける。「独立映画鍋」というグループを作り、ネットによる資金募集クラウドファンディングで目標額の200万円を集め、自主映画を撮り続けられるシステムを作ろうと現実的な戦略を展開しているのだ。
「世の中のこれがおかしい、これをいいたい。自分の主張を表現するために映画を撮った人の勢いはすごい。僕が標榜しているのは、まさにそういうところにあるんですよ」
海外上映での賛否両論でますます話題沸騰、その反応に手応えを感じる土屋豊監督、この続きは、スクリーンで観て欲しい。
(今年2月に行ったインタビュー記事より)
さて、なんといっても今回の作品には、たくさんの改造人間たちが登場している。その撮影現場となったのは、「デパートメントH」、そして、フックを貫通して身体を吊り下げるサスペションをサポートしたのが、我らがTHEフッカーズである。
【閲覧注意】
スーパーマン・スタイル、ひざ、胸、ひじのサスペンションを披露しました!!
そして、話題のベーグルヘッドも!!
タリウム少女は、ひかることができるのか!?
身体改造目線の『タリウム少女の毒殺日記』鑑賞会。
この続きは、会場で~
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